どうも、梅之です。
というわけで、ゴジラ-1.0の感想です。
まあ、ここに来てゴジラの感想を投稿するあたり、梅之も負けず劣らずミーハーなわけですよ。
言い訳をするなら、先に見に行ってたゲゲゲの謎と時代設定が同じなので(しかも主人公はどっちも戦地帰り)、「うわぁー、興味ある!」ってなってたんですが、なんとなく行く気になれず放置。
で、今回ようやく見に行ったわけですが。
絶望の美しさ、いいよね。
どんな書き始めにしようか悩んだんですけど、率直に思ったのがこれなので、これにする。
絶望の美しさ……、いいですよね……。
この映画ってたぶん、戦後立ち直っていくところを無慈悲に踏み潰していくゴジラや、それでも立ち向かっていくしかない人々や(誰かが貧乏くじを引かなくちゃいけないって言葉通り)、終わらない戦争とか、お口すっきりないい感じの感想を書けそうな要素は盛りだくさんだと思う。
でも私がまずこの映画を思い出す時に最初に脳裏によぎるのは、そういうシーンじゃないわけで。
高雄が爆発四散するシーンが、めっちゃ心の中に残ってる。
あのシーンの、もう言葉で表現しきれない絶望感。
そりゃあ序盤でゴジラが死ぬわけないので、駆けつけた高雄が負けるのは分かってたんですが。
「じゃあどうやって負けるの?」となった時に、非のつけどころもない満点解答で爆発四散してくれたので……、もう思い残すことがない。
大戸島でゴジラに遭遇して深い傷を負った敷島さんが、それでもどうにかゴジラと戦って、絶体絶命の時に高雄が来て、「よし!た、助かった!!」ってなってるところからの、あのゴジラの熱線ですからね……。
助かった! からの、「あああぁ……」と膝から崩れ落ちる感覚、そして高雄に乗り込んでいただろう乗員が全員あの爆煙で消し飛んだ(ほぼ確実に骨の一部も残っていない、完全なこの世界からの消滅)実感、……絶望すぎて美しすぎないか……?
ゴジラにとって人間は本当に千々な生き物なんだなっていうのがひしひしと伝わってくるので、もう溜まらなく好きになる(そして絶望する)んですよね……。
で。
その後の銀座襲撃とかきのこ雲を背景に、そのきのこ雲を産み出した化け物が咆哮するシーンとか、こんなんに勝てるわけないよなっていうのをまざまざと見せつけてくるのが好き。
しかも冷静に考えるとあの時代のきのこ雲って、たぶん今の私達が想像するよりも絶望の象徴だろうから、その象徴とゴジラがセットになって人間を蹂躙するって構図がもう、絶望以外の何物でもない。絶望って言葉よりも最上級の心を折ってくる構図なんですよね……。
あとめっちゃ個人的なことなんですが。
ゴジラを間近でとってたマスコミがビルの崩壊に巻き込まれていくの、あー、マスコミだなぁーって感じがして好きでした。
いや、ここだけ絶対にギャグだ。そして馬鹿だ。
自分達が危険な場所にいるのに気づいているようで気づいてなくて、死んでいく様の滑稽さって喜劇だわ。
で、そんななかで「ゴジラはどうやって倒せるのか?」ってなっていくのがね……、いいよね。
今回は特に戦後すぐだから超兵器とかはなしで、「科学的にこうしたらたぶん倒せます!」っていうのが、手探りでやってる感がいい。
ゴジラを倒すのに科学的説得力はいらないと思ってる派なんですが(ぶっちゃけ話の流れとして「倒せそう」って感じれるならその流れでいいと思うのは、私が科学に疎いからだと思う。ここら辺って科学に詳しい人がみれば、「もっとしっかり検証しろよ!」ってなるのかな)、面白かった。
……やっぱ、ゴジラ映画、最高では!?
というわけで、楽しい時間でした。
ごちそうさまでした。
梅之でした。