どうも、ハルノです。
というわけで、舞台文豪とアルケミスト~旗手達ノ協奏~の感想です。
いやぁー、今まで漠然と描かれていた「敵」がようやく明確になったような話でした。
つまりここまでは漠然と「敵」はいるし、「国家のようなもの」が「敵」だったけど、今回の話ではっきりと「検閲する側が敵であり、それに対抗する側が文豪達である」というシンプルな枠を提示してきたって感じ。
そのおかげで、今まで曖昧だったところが分かりやすくなっていたので、「物語として見やすくなったなぁ」と思いつつ、視聴してました。
配信ですからね、3800円を出して見る面白さはあったと思う。
検閲→それに対抗した(というかそれによって死んだ)小林多喜二は敵の天敵→だから復活を妨害されてる→それを助けに行こう! っていうの、めっちゃシンプルで直線的でいいと思うんですよ。
なんかまどろっこしい部分をそぎ落として、善と悪の戦いにしちゃったんだ?! っていう驚きと、まあそうしたほうがややこしいことを言い出すよりも見やすいしいいかもな、っていう気持ちがごちゃ混ぜになってるところ。
まあ、個人的には「国家のようなもの」を敵にして文豪達が頑張ってますよ!文学を守ってますよ!! っていう構図にするには、「戦中にその国家の威光に従った文豪達もいるわけで、そこら辺を無視して「国家のようなもの」を敵に据えて「文豪はそれと戦う正義」の枠で物語を書いてるこの舞台って、なんかすっごく不誠実のような気がする……。なんとも都合のいい話だよな」って思うんですが、そこら辺はまあ文豪とアルケミストは私達が生きてる世界と違う歴史と辿った世界らしいので、文豪達が正義でいられた世界なんだろうなぁーと勝手におもってたりします。
娯楽だし、そこまで深刻な物語にしなくてもいいわけで、検閲によって消えた文豪や検閲を逃れるために権力側に寄り添った文豪を描く必要はないとも思うんですが、でも「国家のようなもの」→検閲で文学を消すっていうのもまあ、「いやいや国が戦意高揚とかで文学を利用してたこともあるのに、なんで消す方向に特化してんだよ」って思うので、このあたりはもう「文劇ではこんな構図で話が書きたいらしい」で浅い目に受け取っておく方がよさそう。
文学とは、って言い出すとすごい泥沼に陥りそうだし、私はアニメ版の島崎君が言っていた「作品が世に出た以上は感想は読者のもの」(意訳)が好きなので、ここに書く感想は私が思う自由なものとして残しておくことにします。
まあ、そういうわけで、物語としては面白いなぁー(正義と悪の話にしちゃうのかぁー)と思いながら見てたんですが。
まあ、これは毎回文豪とアルケミストの舞台を見ながら思ってることなんですが。
文豪とアルケミストの舞台における、コントを入れるタイミングって、本当にどうにかならんのか? 問題がやっぱりめっちゃひしひしと感じる。
どうにもならんかなぁー、これは。
私が文劇を配信で見てる理由の9割がこれなんですよ。
里見君と有島さんが喋ってるシーンとか。
志賀が敵か味方か分からないシーンとか。
特に志賀が敵か味方か分からないシーンって、“里見君の本がヤバイ状態で一刻の猶予もなくて、有島も怪我をしている”って状態で、話とはほぼ関係ないコントをはじめますからね……。
志賀クイズってなんだよ、いまここでする必要がある?!
あのシーンであのコントが入るのに、「え? それって必要? この切迫したシーンで?」ってなるし、笑えないし、どういう意図があってあそこにあのコントをねじ込んだのかまじで気になる。
文劇って少なくとも素人の私よりも物語に精通してる人が作ってるはずなのに、「え? 意味分からん」ってなるの、本当になんでだ。
「だって面白いでしょ?」だったら、「いやいや、面白いっていうのであれを入れるなら、それはマジで話の流れをぶった切ってるだけだから意味ないと思うわ」ってなるし、必要性を考えても、必要性を見いだせないんだよな……。
その前に有島君が里見君の偽物に騙されてるんで、(散々話の流れでズッ友扱いされてる)武者小路でさえ志賀の偽物を見抜けないほどに、敵の模倣は完璧であるって意味なのかな……? って思ったけど、そういうこと……??
というわけで、今回も話も結局のところ、「あー、やっぱ私、文豪とアルケミストの舞台との相性(というかコントとの相性)が悪いなぁー」と思いながら見てました。
でも文アル自体は好きだから、見るんですが。
では、ハルノでした。
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