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アニメ

呪術廻戦 第41話(渋谷事変)「霹靂-弐-」|あの世界の一般人に生まれなくて本当に良かった。【感想】

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どうも、梅之です。

というわけで、呪術廻戦41話「霹靂-弐-」の感想です。

えー……、確か前回「なんか映像の雰囲気が変わってるような?」みたいなことを書いてたんですが、予想が当たってたわけでして。

41話の宿儺vs魔虚羅に全振りしたのか……、スタッフさん……。

とにかく、圧倒的。
あっという間。
絶望的。
飛び交うがれき、車、炎、よく分からないもの。
物の見事に倒壊していく建物達。
その建物の倒壊に巻き込まれる人達。
死んでいく人間達の悲鳴。断末魔にさえなりきれない叫び。
阿鼻叫喚。だけど、釘付けになる美しさで、壊れていく。
そうだよなぁ、渋谷のハロウィンって人がいっぱいいるだろうし、まだ逃げ延びてない人達もいるだろうし。一般人があっけなく、火にくべられる紙切れのごとく燃え尽きても“そういうもの”なんだろうし。

人間が作った街なんてこんなもの。
あっという間にがれきになって、がれき以下の無になって、結果何も残らない。
戦闘中にところどころで流れるBGMに入ってる小さな高音?が、まるで爆音の中にかき消えていく誰かの悲鳴に聞こえるの……、いや気のせいだろうけど、でも「この宿儺と魔虚羅の戦闘に巻き込まれた誰かが断末魔の悲鳴を上げても、誰にも聞こえない」って思い知らされて、こう、ぐっと来る。

いや、まじでさ。
こう。現在を舞台にした話でさ、ここまで都市が問答無用に蹂躙されて壊されて、人が死んでいくアニメってあったか。私が知らないだけかもしれないけど、見ながら「これってもう災害じゃん……」ってなるアニメに心覚えががないんだけど。

渋谷事変って、本当今までの呪術廻戦のイメージと違うんですよ……。

これまでも、呪霊は怖いとか。
人間はあっけなく呪霊に殺されるとか、そういう雰囲気はあったと思うんだけど。
どっちかっていうと、姉妹校交流戦みたいな感じの方が強かった気がする。

だからこそ、渋谷事変でがらりと雰囲気が変わったのが怖いんだわ。
前回と今回の戦闘で、「いや、あっけなく殺されるとかじゃなくてさ。もはやなすすべもないっていうか、不運っていうか。その場にいたっていうのが死因としか言い様がない死に方ってさ、災害じゃん……」ってなるのが、これまでなんだかんだで呪霊とか呪術廻戦っていう世界を甘く見ていたのに気づかされるというか。

もう、言葉がありませんよ……。
原作読んだときは漠然と「あ。人がめっちゃ死んでる」ってなってたけど、アニメを見てると、人が死んでるって明確な言葉ではなくて、「あー…………、こんなの、どうやって助かるんだよ……」ってなってく。
死ぬのが当たり前で、生き残るのが幸運で。
でも生き残ってもたぶん、倒壊する建物とか、宙を舞う自動車とか、空から降ってくる誰かの楽しげな哄笑とか忘れられずに、ずっと引きずって生きていくんだろうな……って思うと、死んでも生きても、ラッキーなんてないんだろうな……。

そしてそんな中で五条先生が助けた人達は生存している(しかもあの大惨事を見なくて済んだ)ので、渋谷事変って本当に「どこにいるかで生死が分かれる」状態なんだよな……。

というわけで、なんか考えれば考えるほど。
宿儺vs魔虚羅戦の映像のすごさとか戦闘のすごさを感じるし。
それと同じぐらい、「呪術廻戦の世界の一般人って、本当にいつ死んでもおかしくないって世界で生きてるんだな……」と思えてくる。
で、来週はナナミンなわけでして。
あー……、ナナミン………………。
しんどいなぁー……。

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